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文化のバトンをつなぐために

Focus

ルンバのルーツは南米でなくアフリカ!?

ラテンダンスの代表格である「コンゴのルンバ」は、昨年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された。一般的にルンバとは、お祝いや弔いの場で男女のカップルによって踊られるものだ。

ルンバという言葉から、キューバをはじめとする中南米をイメージされる方が多いかもしれないが、ルーツはアフリカに位置するコンゴ民主共和国 (旧ザイール) とコンゴ共和国にある。かつて、太平洋奴隷貿易でヨーロッパやアメリカ大陸へと連れて行かれた人々が、自分たちの歴史や起源、記憶を思い出したいときに踊ったものだ。

しかしこれまで、ルンバが伝えられた国や地域における発展は語られることがあったものの、ルーツであるアフリカの文化や人々に関して言及されることは少なかった。コンゴの芸術文化大臣であるカトリーヌ・カサング・フラハ氏は、「ルンバが私たちのものであることを認めてほしい。それは、私たちのアイデンティティなのです。」と語る。

今日、ルンバはキューバやアメリカ、スペインなどで独自のスタイルへと発展している。今回のユネスコへの登録は、世界的に有名なルンバのルーツはコンゴにあることを証明し、その文化の普遍性を体現している。

Rumba’s Congolese roots are finally being recognized by Unesco (Quartz)

Opinion

しなやかに変化する “Grand Paris”

「伝統をアップデートする」。よく耳にするフレーズだが、言うは易く行うは難し、だろう。保守的すぎると時代に取り残され、ドラスティックすぎると本質を損ないかねない。

そんな中、伝統を重んじる「花の都」パリが、大きく変貌しようとしてる。変革をリードするのは、アンヌ・イダルゴ市長。2014年の初当選以降、グリーン政策を推進してきた。

彼女が目指すのは、都市生活に自然を取り戻すこと。鍵を握るのが、緑化計画とマイクロモビリティの普及だ。

「2030年までに、街の50%を緑で覆う」そんなビジョンに沿って、17万本以上の木を植えるという。植栽によって景観が様変わりすると予想されるエリアには、シャンゼリゼ通りやコンコルド広場など、観光名所も含まれている。

もう1つのコンセプトは「15分都市」。車いらずで、街のあらゆる機能にアクセスできる都市モデルだ。これまでにおよそ1500km(900mi)の自転車専用道路が整備され、多くの道や広場から車が排除されはじめている。

これらの取り組みには、環境配慮以外の側面もある。例えば、世界一美しいと称されるシャンゼリゼ通りだが、オーバーツーリズムなどの弊害で、パリ市民からはネガティブな声も上がっていた。シャンゼリゼ通りが「世界一美しい通り」でありつづけるために、変化は不可欠だったのである。

これまで積み重ねてきた伝統に、新たな価値観(パリの場合は「人と地球、双方に優しい」とでもいったところだろうか)を上乗せし、しなやかに変化してゆく、それこそがアップデートのあるべき姿ではないだろうか。

How Paris plans to become Europe’s greenest city by 2030 (TimeOut)

Instagramという文化ギャラリー

先週配信のニュースレター『#29 クリエイターエコノミーの現在地』でも取り上げたように、現代は誰もがクリエイターになれる時代だ。SNSをはじめとするオンライン上では、かつてないほど多くのコンテンツが賑わいを見せている。

そんな中、Instagramを活用し、ブラックカルチャーの歴史や文化に焦点を当てた写真・文章を投稿するキュレーターが登場している。それらのページでは、奴隷貿易といった強制的な理由で、故郷アフリカを離れることとなった人々「アフリカン・ディアスポラ」の生活を垣間見ることができる。

Culture Art Society (CAS)」というアカウントを見てみると、1900年代を中心に、写真家が切り取る生活の断片やポートレイト写真、ブラックカルチャーにおける重要な映画の写真などがずらりと並ぶ。これらの活動は、アフリカン・ディアスポラの歴史や文化の保存を目的としている。その上で、「Instagram」というプラットフォームの活用にはいくつかのメリットがある。

ひとつは、歴史を大衆的にするというもの。学術的な見せ方ではなく、写真を一面に並べた「ギャラリー化」することで、多くの人が参加可能なコンテンツとなり得る。加えて、「シェア」機能も人々の参加を加速させる要因のひとつだ。

また、文化の伝達手段が「写真」であるということには大きな意味がある。かつて、アフリカン・ディアスポラの人々は結婚証明証や医療記録といった、自分たちの歴史を辿る手段がなかった。そのため、写真は自分たちの歴史を保存するための数少ない手段だったのだ。

伝統的な歴史を後世に伝達するために、新しい手段を取り入れるのは懸念もあるだろう。一企業のサービスであるという部分においては、永続性やアクセシビリティの問題もある。とはいえ私自身、遠く離れたアフリカの歴史に今こうして触れることができている。伝統的な歴史や文化を語り継ぐため、非伝統的であったとしても時代に適した手段の選択は重要だろう。

Black Culture Archives on Instagram: Empowerment, Surveillance & Reclamation (Teen Vogue)

”Sushi”カルチャーと寿司文化の継承

日本食は日本が世界に誇る文化の一つだ。スウェーデンに来てからというもの、日本食の素晴らしさを痛感する毎日を送っている。半年近く海外生活を送っていれば、なんとか日本食まがいのもので日本食シックを凌ぐくらいには手料理も上達するのだが、やはり故郷の味には程遠いものである。

そんな中、年末に文化メディア論を研究している友人から、寿司に関するドキュメンタリー制作に協力して欲しいと連絡があった。世界から見た日本食に興味があったのはもちろんのこと、日本文化に関心を寄せてもらえているのが日本人として何より嬉しかった。彼女の自宅に招待してもらい、赴いた先で衝撃を受けることとなった(ある程度覚悟はしていたが)のは言うまでもない。

海苔巻きを裏側にしてさらに油で揚げた”裏まき天ぷら”や、もはや当たり前のように鎮座するカリフォルニアロール。醤油だけでなく、チリソースやマンゴーソースが色鮮やかに皿を飾っていた。彼女曰く、日本の伝統的なレシピを見て手作りしたソースだという。

私が想像する日本食と世界が捉える日本食のギャップにかなり衝撃を受けた一方で、日本食の世界進出によって新たな文化が形成されつつあるという事実も目の当たりにした。 New York Timesの記事では、ロサンゼルスにおける寿司の変遷がまとめられている。日本とは文化も気候も違えば、揃う食材も変わってくる。その中で寿司はカリフォルニアロールやヴィーガンスシに進化したのである。その一方、寿司屋として日本の伝統になるべく近い寿司を守っている寿司屋も存在する。日本独特の簡素な美を表現しつつも、現地の人々に親しまれるような工夫を散りばめている絶妙なバランスが素晴らしい。

文化の違いが存在する上で同じ食文化を共有するには、ある程度の柔軟性も持ち合わせている必要があるのだろう。自国の正統派を押し付けるだけでは中々上手くいかない。社会とともに変容していく文化を受け入れる一方で、文化の芯をいかに保存し、継承するかが文化伝統における大きな課題になるだろう。

Tracing a Los Angeles Treasure: Its Glorious Sprawl of Sushi (The New York Times)